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呼び声

 その門に入ることは容易ではなく
 その道を進むことは困難にして
 閉じた扉を叩き続ける
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儀式偽善等価考

 形式と実態との、もしくは、外面と内面との対立。
 儀式を重視すると評価選別が容易となる。判断を怠けるには、たいへん都合がよい。
 
1. 善と悪とは単なる二項ではない。
2. 考察、悪と偽善と。
3. 望ましいと傾けるべき方向。
 *ヴェイユを援用。
 

後ろ姿と衣の裾と

http://soberthe.blog.shinobi.jp/Entry/10/
 
  
 真理に到達せんと、真理をこの手につかもうと、そのために進む。
 しかし、そんなことが可能なのだろうか、手足はそのためにはあまりにも弱いのではないか。
 不可能であるならば。
 仮に弱いものであったとしても。
 せめて、真理の衣の裾に、この指先が触れることを願う。
 後ろ姿を初めて目にした時、腕を伸ばしても届くことはない。
 疲れ、躓き、進みゆく。
 目には真理のみならず、
 

後ろ姿

 座標平面を円や直線が移動したり、数式が変形していったり、ともかく、そういう事が起こってなにかを理解することは、ありうることです。ただ、そんな現象を起こすには、相応の積み重ねが必要でしょう。
 
 ヴェイユが言うところのいくつかの概念について、それらの意味するところにふっと入り込んだような気がしたのですが、はっきりとした図形が見えたというわけではなく、ただ霧に包まれたのみというのが的確でしょう。そして、ぼんやりしていたら霧は晴れてしまいました。
 
 後ろ姿を見かけることはできたわけです。しかし、追いかけるだけの足腰が未だ備わっていなかった。
 

乃絵の話

 またtrue tearsですかと言われそうです。はい、またですと答えます。
 
 ブルーレイを買ったのでいつでも好きな時に見ることはできるのですが、枯れ木も山の賑わいだと考えて一挙配信を見ていました。いい山を賑わすのが、私のような枯れ木の役目です。
 
 去年、全編を初めて見た後には、乃絵になりたいというような感想をもったような記憶があります。火から下ろしたばかりのすさまじい熱量だと自分でも思います。最近は過剰な熱量が削れて、ほどよく落ち着いてきました。乃絵のようにありたいです。
 
 あの結末はあの結末で優れたものです。最後の二話ぐらいに、終わらせるために仕方ないとはいえ、詰め込みすぎというか駆け足気味というか、そういう印象がありますが、納得の結末です。配分の問題です。
 
 が、しかし。
 それでもやはり、わたしは、眞一郎の横でくすぐったそうに微笑んでいる乃絵を見たいのです。
 
 
 ……すこしばかり熱くなりすぎてしまいました。
 
 trueという語は重要です。わたしにとっては、誠実という意味が、辞書で言えば先に記されたり詳しく書かれたりするところです。(cf. Tove Jansson, "Den ärliga bedragaren", 1982)
 最初からそういう見方だったからこそ、乃絵に惹かれるのでしょう。

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Hikari Miito

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