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ズバァアン

コトヤマ『だがしかし』1-4

おもしろいですね。
女性陣がいい味出してます。
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目的の目的

佐竹直子『獄中メモは問う 作文教育が罪にされた時代』北海道新聞社
 
 「綴方事件」。治安維持法適用の無理筋の話。ようするに特高と赤のレッテルと冤罪。
 
 むしろまっとうな皇民教育をしていた教員がなぜ逮捕されたのかというところで、特高の存在意義を確保する=予算確保=事件(犯人・犯罪)が必要。という今も昔も変わらぬ事情。ただし、この点にはあまり深く行かないで、語り継ぐことと連載時の立法府についてが多い。
 
 新聞連載が元なので、ぱぱっと読むこともできるので、とりあえず目を通しておいてはいかがでしょうか。

基礎知識必須

土岐健治『死海写本 「最古の聖書」を読む』講談社学術文庫
 
 あとがきに書いてあるように、底本は講談社文庫の『はじめての死海写本』とかいう本であって、それじゃあまりにも不親切きわまりなく、学術文庫に収まって、よかったよかったというところ。 
 
 ただし、厳密には、これもあとがきに書かれているけれど、「最古の聖書」を読んでいるわけではなく、いわゆる死海写本という一群の資料の中で、旧約以外のものを記した写本から、死海写本を残したであろうクムラン宗団の思想を垣間見よう、という本なので、その点は注意されたし。
 
 で、その意図はとてもよく達成されていると思います。

昨日のつづき 伊吹契『アリス・エクス・マキナ 3』

昨日、感情にまかせて書いた後、ベッドの中で考えた。
 
 群像劇。
 
 なにかいいものはないかと探して、攻殻機動隊の個別の十一人が思い当たる。
 あれぐらい、それぞれの立場や思惑が絡み合って緊迫しているなら、群像劇だと言っても、ある程度は納得してもらえるだろうと期待したい。
 
 ……まー、核ミサイルが登場しているにもかかわらず、のほほんとされていたら、それはそれで困る。
 
 で、緊迫。緊張でもいいですけど。
 攻殻の緊迫は心地よいそれで、不快なものではない。
 
 じゃあ、不快な緊張とはなにかとなると、いつも言っていることではあるものの、ベッドの中で呼び方をひらめいた私は、今日から、「スタジオジブリの2/3ポイント」と呼ぶことにしたい。とてもしたい。
 メイがいなくなるとか、キキが飛べなくなるとか、雫が両親と摩擦を起こすとか、千が銭婆婆のところへ行くとか、あの作品経過時間と状況。
 
 ただ、これは、私にとって不快だという話であって、それを飛び出して他の人を説得できるかというと、どうかな、無理だろうな、ということは、わかっているつもりです。
 
 スマキ(作者たる伊吹さんがツイッターでこの略称を提案、推奨していたと記憶しているので、使いましょう。いや、推奨はしていなかったかな…… 単にアリスと略すと、アリスという機械全体なのか、それとも作品なのかわからないですからね。)が、3巻全部使って群像劇を繰り広げていたら、たぶんそれはすごいものになっただろうと思うものの、でもそれは、スマキじゃないですよねとなります。
 
 だって、スマキは、ロザ並びにあきら、と冬治およびアリスの話だと思うからです。
 
 
 伊吹さんの次回作に期待しましょう。
 ……え、夏じゃなくて年内に変更ですか?
 待ちます。
  

伊吹契『アリス・エクス・マキナ 3』

伊吹契『アリス・エクス・マキナ 3  愛惜のシンフォニア』星海社、2015
 
 ついさきほど読み終えた、できたての感想。
 
 はじめに。まったく作品とは関係のないことではあるのだけれど(さらには、会社内部がどうなっているか知らないけれど)、講談社本体とならともかく、星海社とは離れた方がいいと、わたくしは思います。
 
 ……そういう感情混じりで、はたして、妥当に読めているかどうか。
 不安だ。
 
 
  
 前置き。
 サイコロを振って奇数の目が出る確率。  1/2。
 3回サイコロを振って3回連続で奇数の目が出る確率。 1/2 * 1/2 * 1/2 = 1/8。12.5%。
 
 本題。
 最初に結論。最終巻である3巻は、終わるためだけの巻で、残念なことに、3回連続で奇数の目は出なかったと私の目にうつる。
 
 それは、裏に返せば、1巻と2巻とはよかったということで、3巻の途中から、たしか、響子博士が出てきたあたりから、ああこのパターンかとがっかりして気付く。思っていた以上に期待して読み始めていたと。
 
 思うに、私のレンズだと、ピントが合わないことが原因で、つまり、世間のアリスに対する批判を簡略にしたのはいいのだけれど、じゃあ、アリサやロザに対してしっかり取り組んであるか(朝倉冬治が、ではなく)となると、1,2巻ほどではない。というのが不満。
 
 (まだ、モモと冬治の後輩(名前を忘れてしまった。)とがちゃんと向き合っていると言えそう)
 
 それでは、みんなの群像劇(落馬表現みたいだ……)かとなると(シンフォニアですしね)、あちこちで動いているだけという域を抜けていない。
 
 それらがために、これからさきのことを想起させる終わり方が、効果をなしていない。
 
 ――だいたいは、そのようなことで、
 
 背中のかゆいところがかゆい、しかし、手が届かない以前に、五十肩で手が上がらない。
 
 というもどかしさ。
 
 
 蛇足。
 うぬら、このごにおよんでうそをつきおったな。
 

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Hikari Miito

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